いつか滝壺に落としたい

数年前、隅田川花火大会の日に墨田区の全然知らない駅に降りて、混み合っている場所を避けながら路地を歩き、ビルの隙間に見える花火を見ながら散歩したのがとても楽しかったので、そうだ今年はあれをまたやろうと思ったのだけど、その時のメンバーが都合が付かなくて断念した。

その代わり、今年も蔵前の鵜原家でお酒をご馳走になり、いつも以上にデカい花火を見て、さらにはフォレスト伊蔵をいただくという超素敵な夜を過ごすことができた。

ここのところ鵜原は疲れているっぽいので、8年前のように恵比須駅の階段で後ろからひっくり返ってウコンの毒霧をかますくらいのパーティーをあいつの為に開きたいところだ。

僕は「もうダメだ。もう終わりだ。最悪だ」と「超最高!これ以上ってあるの!?フォー!」のジェットコースターのような躁鬱を日々繰り返しているのだけど、僕の友達は基本的にはいつでも心と表情が凪状態で、ハッピーなのかそうでないのか一見するとよくわからない奴ばっかりだ。

アンドロイドなのかもしれない。

僕みたいに怒り狂ったり、騒いだり、泣いたり、笑い転げたりは、故障したように喋り続けたりはあんまりしない。

特にあんまり怒ったりはしないので、「大は本当に器が小さいよな」なんて言われる始末だ。

僕よりも大人なのだ。

あまり大きな声では言えないが僕はあまり大人に対して良い印象がなく、むしろ見下しているし、そもそも大人の定義が今なおはっきりと理解していない。

はっきり言ったら大人になんてなりたくない。

だから友達がステレオタイプに大人ぶった言動を取った場合、その言動がいかに無意味で非合理的で生産性が低く、無知で無価値なのかについてウザいくらい説く。

そのウザさは自覚している。

それがちゃんと疑って自己分析した結果の発言なのか議論が必要だ。

金や仕事なんて話じゃなくスタイルの話だ。

けど僕は知っている。

みんな神妙な顔をしているけど、僕よりも面白いことが好きなはずで、僕よりも激しい感情の渦がハートの中心でグルグルしているはずだ。

なかなか見せてくれないけどドカンと景気良い何かを欲しているはずだ。

だから僕はみんなが「ウォー!」ってテンションが上がっているのを見ると、なんだかよくわかなくても同じくテンションが上がる。

そういう意味で、この前マサキと超久しぶりに一緒にフェスに行って、かまってちゃん観ながら二人でワーキャーしてた時なんて本当に幸せだった。

あんな脊髄から幸せなの2年ぶりだったかもしれない。

そこそこ楽しいのが大人の遊びなんて怠慢だ。

死ぬまで遊ぶ為にみんなで人一倍努力して、組織で頑張っている奴は早いとこ偉くなって、自営業の人間はいっぱい金を稼いで、誰かが死んだらドンチャン騒ぎの葬式をして、あの世でバンジージャンプとか川下りとか、エクストリームな遊びをしたい。

鵜原やアキラや土屋を滝壺に突き落としたい。

結果としてそこそこでまあまあだとしても、最高を求めて生きたかどうかが肝心なんじゃないかと、若輩ながら思うわけです。

どうせ僕らは今も昔もダサいんだから、無様でももがいて抵抗して、前人未到の未来に立ち向かおうじゃないかと思うわけです。

僕はまだ「こんなもんだ」とは思わない。

「こんなもんじゃない、夏」ってキャッチコピーをお前に贈る。

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ハヤブサマガジン 2005年10月活動開始。 フリーマガジン「ハヤブサマガジン」を日本全国のフットサルコート、スポーツバーなどに配布。 vol.7をもって活動停止。2013年、ウェブマガジンとして活動再開。ブログは日常の話です。