まだ死にたくない

自分の内面について他人に語ることを「自分語りwww」と嘲笑される時代らしいのですが、自分のことを語らずしていったい人と何を分かち合うというのだろうか。

おそらくこの場合の「自分語りワロタ」は、ツイッターなどのSNSで一方的に自分の内面性について記述することのウザさを指摘したものかもしれないけど、自分の内面性を語ることがダサいとか、ナルシズムとか、ひどい時にはお門違いにも自己顕示などと揶揄される風潮がリアルの世界にも蔓延してきているような気がする。

 

先日、知らない人しかいないパーティーで隣に座った男性と1時間以上世間話をしていた。

互いの素性や思考がわかったところで、少し踏み込んだ話題をしようとした時、「ちょっとこういう話もなんなんですけど」と僕の口から無意識に出てきた。

僕が話始めたことは「東京で34年も生きているとすでに何もかもやり尽くした気がして、どこか遠くの街に住みたいと思うけど、遠くの街に行って東京に帰ってくる度に東京っていいなと思ってしまう。その上、友達の95%は東京に住んでいるから、東京を離れることは考えづらいんだけど、でもいつかは1年とか2年単位で違う街で暮らしてみたい。1度しかしかない人生で1つの街だけで暮らすというのも勿体ない気がする」というなんてことない他愛もない話題だった。

どう考えても「ちょっとこういう話もなんなんですけど」なんていう無駄な枕は全く必要ない話題なのに、一個余計なのを挟んだ理由は、初対面の人に自分の心情を話すことで相手が不快に感じるのではと勘繰ったからだ。

 

ちょっと前まではこんな勘繰りなんてせずに、初対面でも気に入った奴なら今抱えている不安や、女の子にフラレて気持ち的にどん底だった話など平気でしたのに。

逆に初対面の相手から学生時代から正体不明の孤独を抱えているなんて話を聞かされたことがあるけど、別に嫌な気持ちなんて全然しなくて、むしろお前のそれもっとこっち寄越せよって思った。

100%はわからないけど、45%くらいなら共感できるよって言ってやった。

余計な勘繰りは臆病者かセンスのない証拠なので反省だ。

 

自分の内面や心情の話をすることが大人らしくなく、恥ずかしく、不適切だと自主規制しているこの流れは、なんとも気色悪い。

大人になるということは強く優しくなることであって、それは繊細さや気持ちを軽んじることでは決してないはずだ。

良くも悪くも「適当」な返しばかり上手になって、何を話したか全く覚えていないのは酒のせいだけではないかもしれない。

情報やニュースをシェアすることだけがコミュニケーションだなんて、文化的に退化しているとしか言いようがない。

 

SNSは表層的なイメージと空虚な面白さが持ち味だ。

それをディスるつもりはないし、むしろ楽しんでいる。

だけど人と人とはそれだけでは面白くない。

 

先日、神社やもんじゃや都市の街並みを楽しみながら仲間と夜の街を酒を飲みながら散歩した。

7kmくらい歩いた。

買ったばかりの革ジャンのリブがワインで真っ赤に染まった。

だけどそんなことはどうでもいい。

ただただ手放しにひたすら楽しかった。

まるで移動型野外フェスティバル。

どんな高級レストランよりも素敵だ。

あんな夜があといくつかあると思うと、まだ死にたくないと思う。

About hayabusa 112 Articles
ハヤブサマガジン 2005年10月活動開始。 フリーマガジン「ハヤブサマガジン」を日本全国のフットサルコート、スポーツバーなどに配布。 vol.7をもって活動停止。2013年、ウェブマガジンとして活動再開。ブログは日常の話です。