ネイティブアメリカンの画家John Brosioは現代人の当事者意識の希薄さを描いています。
竜巻、巨大化して民家を襲う生き物達、それを眺めている人、人、人。
火災や事故があった時、「爆発する可能性があるので下がってください。」と警察が言ってもその様子を携帯電話で必死に撮影を続ける群衆をTVで見たことがあるはず。
携帯を頭上にかざす群衆の目は狂気の色を帯び、「ヤベェ、ヤベェ」と言いながら口元には笑みを浮かべている。
竜巻が迫ってきているのに、「怖い怖い」と叫びながら撮影を続ける人、津波警報が出ているのに津波を撮影しに行く人。
それらの行動は危機感と当事者意識の希薄さが起因するものだろう。
自分は死なない、自分は大丈夫、何かあっても誰かが助けてくれると信じきっている。
あるいは何も考えていないだけか。
フェイスブックに動画をアップする為に、交通事故で目の前で人が死にゆく様を動画で撮影し続ける群衆の中に、大人も混ざっているという事実に寒気がする。
東北大震災の時も地震と放射能に関して、千差万別の反応と意見があった。
東北大震災から2年近く経ってから政府が「福島第一原発事故の影響は人体に影響なしと発表していたが、本当は首都圏避難勧告を出す直前だった」と発表した。
あの時、「冷静になろうぜ。」と人が慌てているのを笑っている人もいた。
しかし、それは本当に冷静な対応だったのだろうか。
僕には危機感と当事者意識がなかっただけとしか思えない。
きっとその人達はゴジラが襲ってきても冷静に携帯電話で撮影をしていることだろう。
John Brosioの絵は私たち現代人の笑えない滑稽さを描いている。〈D〉