数年前の11月15日、祖母が息を引き取った。
その日から1週間くらい仕事を休んで北区にある祖母の一軒家で親戚一同と一緒に過ごしていた。
普段は会う機会が少ない従兄弟達と2階の広間にずらっと布団を並べて一緒に寝た。
お葬式の日までロウソクの灯を絶やさないように夜中には男達が交代で祖母の傍らに座って過ごしていた。
静まり返った深夜の居間で、ローソクの揺れる灯を見ながらぼんやりと何かを考えていたことを覚えている。
従兄弟は小さい頃は仲良かったが、次第に家庭事情や環境が変わってきたせいか、年に1、2回顔を合わす程度になり祖母が亡くなる頃は2年くらい顔を見ていなかったような気がする。
1番年長者のT君は僕の4歳年上で足立区出身の元不良だ。
今は家庭を持ち、良き父として堅気な生活を送っていたけれど、昔は実話ナックルクラスの不良だったことは親族からよく話を聞いていた。
小さい頃は僕らの面倒をよく見てくれていたけど、小学校高学年になるとタバコや自転車泥棒どころか、車を盗んで土手に乗り捨てるほどの悪童になってしまい、あまり顔を合わせる機会も少なくなった。
その頃の足立区の特定の地域はヤンキー漫画の世界のような血で血を洗う争いが現実に起きていたらしい。
周りの同学年も悪いヤツばかりで自然の流れで暴走族に入り、T君はかなり大きいチームの特攻隊長という役職に就いたそうだ。
僕みたいな親や教師に言うことを素直に聞いていた文系の優等生にはまるで縁がないそんな昔話を、祖母の家の近くにある銭湯にみんなで行く道すがらT君から聞いていた。
「仲間が行方不明」「監禁された」というようなワードが連発するその地域の恐ろしい昔話を僕は口が開いたままただ聞いていた。
闇金ウシジマくんの世界以上の話が現実にあるらしい。
そんな現実は知りたくもないし、1ミリも関わりたくないと心から思った。
T君もまた過去を悔やみ、亡くなった友達を偲び、淡々と時にどこか苦しそうにその頃の話をしていた。
そして、T君が女性や子どもを痛めつけたり、弱者から何かを奪い取るような悪事をしていなくて親戚としてほっとした。
そういう時代でそういう環境で、悪くないと生きていけない世界だったようだ。
10代後半~20代後半までのT君のブラックな歴史についてここで書けることは1つもないけれど、「でも俺、一度も親に手を出したことないから」とドヤ顔で自慢するT君の両腕には入れ墨がまだ入っている。
祖母の死をきっかけにT君や親族と再会し、1週間寝食を共にした。
まるでおばあちゃんが親戚一同を引き合わせたように、賑やかで楽しい日々だった。
小さな不幸や日々起きるうまくいかないことを器用に乗り越えられれば、許し合って少し優しくなれれば、家族はきっとこんな風に賑やかで楽しいものなのだろうと思った。
T君の見た目は前から歩いてきたら直視しちゃいけない系の顔つきだけど、良き父として娘に対して厳しく優しく接している。
T君の娘は可愛らしく元気ハツラツに育っている。
僕はその様子を見て、脳に閃光が走った。
僕は元いじめられっ子なのでイジメ問題に対してとても強い関心を持っている。
幸いにも僕は友達に救われ、そして粘着質な復讐心が人一倍強かったので心が折れたりしなかったけれど、状況違えばもっととことん追い詰められていたかもしれない。
イジメを苦に死んでしまったというニュースを観る度に、どんな事件よりも心苦しくなる。
漠然とながらどうすれば1人の人間を死に追いやるほどのイジメが無くなるのか頭の片隅でずっと考えていたところだった。
イジメっ子はイジメている相手が弱いと判断してイジメている。
でも、もしもイジメている相手が実は弱者でなかったら。
その親がちょっとやそっとの暴言暴力恐喝になんて屈しないT君みたいなタイプだったら。
子どもが傷つけられたらあらゆる知恵を絞ってその一家を精神的に追い込むことに躍起になる粘着質な復讐心が人一倍強い僕のようなタイプだったら。
「傷つけられた人の気持ちを考えてみなさい」なんて良識者はイジメた人間に対して言うけど、その想像力があればそもそもイジメなんてしない。
人を平気で傷つける人間に優しさや思いやりなんて生ぬるい言葉は届かない。
それならば、誰かをイジメるリスクについて教えてやるのはどうだろうか。
自分が復讐される可能性を教えてやればどうだろうか。
現実、お金を払えばなんでもやる人達がいることは周知の事実だ。
イジメっ子のガキを一人追い込むことくらい簡単だろう。
男は自分の為には大したことはできないけれど、家族や子どもの為なら何でもやってしまう生き物だ。
自分の身を守りたかったら、後ろから刺されたくなかったら、家に火をつけられたくなかったら、誰かをイジメるのをやめろ。と教えるのはどうだろうか。
T君の家族の風景を眺めながら、そんなことを思いついた。
おばあちゃんは物騒な話が嫌いだったので、みんなの間ではそんな話はしなかったけれど。