この目で確かに何度も凄惨な風景を見たはずなのに、6年前の写真を眺めてみても、その時の驚きや感情は全く蘇ってこない。
だけど、仲間達が写っている写真を見れば、その時にした冗談や馬鹿話はいくつか思い出す。
本当のこと言うと。
現場に行くとあまりに感謝されるから後付けでボランティアに行く理由や大義がくっ付いてきたけど、本当のこと言うと僕は友達と何か凄いことをやりたかっただけなんだ。
SNSに溢れる偽リア充達に本当のリア充の姿を見せつけてやりたかった。
学生時代の「イケてるグループ」に未来の僕がどんだけイケてるグループの人間なのか見せつけたかっただけだった。
2011年、たまたま最後の反抗期と震災が重なった。
と、今となっては思うけれど、当時の僕が本当は何を考えていたのかわからない。
先月の自分の言動や書いた文に疑問を持つくらいなのだから、6年前なんてもはや他人の思惑だ。
その当時、「いつか子どもができたら、『お父さんはイケてる仲間達と困っている人の手助けに行ってきた』と自慢話をしてやるんだ」と書いていた。
それから僕は2人の子の父になったのだけど、その想いはバッチリ変わらないどころか増大している。
このままだと子ども達に「パパは現場で重機使って、100人のチームのリーダーだったんだぞ!」と話を大盛りしそうな自分がいる。
AT限定の免許しか持っていないのに。
一緒に現場に行った友達とは仲間になった。
僕が誘ったからは関係なく、みんな自分の考えと思いで「俺も行くぜ!」って言ったんだけど、一緒に行くって言ってくれて本当に嬉しかった。
比喩じゃなく胸が熱くなった。
僕は帰宅部で友達はいたけれど仲間はいなかったから本当に嬉しかったんだ。
諸説あるけど、人は行動が全て。
行動の前にはこんな文章も大して意味もない。
だから僕の人生において、あの時間、あのメンバーは宝物だ。
そうだろ兄弟。
「頑張ってお年寄りの為に働いておいで!」と送り出してくれた母親にはマジリスペクト宣言だし、泥だらけの写真を送って「大ちゃん超カッコいい!」と返信してくれた当時の彼女も最高だ。
年を重ねると仕事や金の話がメインになり世界は狭くなりがちで、邪な思いから妙な勘ぐりで比較したり批評したり批判したりするようなるらしいけど、そんなのは僕らには関係のない世界の話だ。
死ぬまで「なんかやってやろうぜメンタル」で遊びの話を主軸に置こう。
息子に僕達のような仲間ができますようにと、心から先祖に向けて合掌しながら願うよ。
頑張れ東北なんてもう言わなくなって頑張ってる。
やられたままで終わるかよボケがって気概のイケてるクルーが東北のあちこちで生まれているっていう噂が僕の耳に入っている。
震災から6年、僕はもう津波は思い出さない。
仲間と飲んだ強い酒といくつもの笑い話を思い出す。
※写真は寝泊りしていた牡鹿半島のボランティアセンターで、たぶん超どうでもいい冗談を言っている時