ダチんこの鵜原にみんなからプレゼントを贈った。
カッコいい自転車を贈った。
サッカーしか運動ができない鵜原が自転車に乗れるかが話の焦点だけど、本人曰く乗れるらしい。
鵜原と親しい人が「ダイスケって自転車乗れるの?」って聞いてから、乗れるかどうか本当に怪しい。
僕はもちろん乗れないと思っているけど、本人もみんなからもらった自転車に喜んでいたので喜ばしい。
でもG7がギアは固定にしょうなんて言ったから、僕は必死で止めたよ。
夜の風の匂いと街の光の感じが変わって、ワクワクと寂しさが同時にやってきて、この気持ちを知ってると懐かしい気持ちになった。
気恥ずかしい昔馴染みとコンビニで出会ってしまったような感覚だ。
僕の体の中では、変わったことにも気がつかないくらい変わってしまったことがきっといくつかあって、消えていったのが何かさえ想い出せないこのやるせなさも懐かしかった。
やるせない自分って超イケてるというのが本音だ。
呼吸する度に細胞が死んでいくらしいけど、きっと脳の中にあるものも心臓も中にあるものも同じように死んでいっているのかもしれない。
信号で立ち止まって、一銭にもならない答えが出ない問いを思い出して、また少しだけ考えてみるけれど、中世ヨーロッパの暇人達でさえ出せなかった答えを、無闇に闇雲に脅迫観念的に忙しい現代人のひとりの僕が出せるわけなんてないんだ。
中世ヨーロッパな夜だぜ、まったく。
パラレルワールドから抜け出すには死ぬしかないのかもしれないけれど、今死ぬなんて死ぬほどゴメンだ。
僕はまだやるせない気分と酒に酔っていたいんだ。
テクノロジーの進化で人間そのものが進化していると勘違いしているけど、実は退化している残念な現代人の脳には出せない答えがきっといくつもあるような気がする。
とにかく春の気配に胸いっぱい。
それだけだ。
僕なんてそれだけだ。