東日本大震災から2年。
なにか写真を載せようと思ったけど、なにかそれはもう違うかな。
僕らは被災地に居場所を求めに行ったわけでも、想い出を作りに行ったわけでもないから。
正直な話、僕は被災者の為に何かやりたかったのかどうか、今となってはもうよくわからない。
ただいても立ってもいられなかっただけで、そこの理由や意味なんてどうでもいい。
去年の夏で向こうに手伝いに行くのを一旦やめた。
剛君や他の仲間達はまだ手伝えることがあるって言っているけど、現場のテンションやノリで、「これはもう僕らの出番じゃないな。」って思った。
ヤバイことがあって、「これはヤバいことだぞ!」って鼻とハートで感じて動き出す初動スピードがチーター並みだってことが僕たちの役目だって勝手に思っている。
遺伝子レベルで危機に対して麻痺してて、慢性的に自己判断できないのが世間だって僕は思っているから、初動こそが僕たちの役割だったって2年を振り返って思っている。
今でも東北で困っている人達が何十万人いるってことは知っているし、肌で覚えている。
だからこそ今尚継続して支援を続けている人には最大の尊敬の気持ちがある。
思い出すのは高校のなにかの催事の時に、里見先生が言った言葉だ。
多少違うかもしれないけど、大筋はこういう話だ。
「生徒諸君、大人になってもうまくいかないことがたくさんある。妥協しなくてはならないこと、諦めなくてはならないこともたくさんあるだろう。哀しみや孤独に苦しむこともある。
それでもだ。
それでも、悔いの無いように生きてくれ。」
切実な言い方だったから、とてもよく憶えている。
生きることとは肉体的な命の有無ではなく、何を感じ、何を考え、何を思い、何を愛し、何に胸を焦がすのか。
完璧ではないけど、今なら17歳の時よりわかる気がする。
結局のところ、僕は後悔したくないから向こうに手伝いに行ったのかもしれない。
被災地の青年達には他の街の人間なんかに期待しないで、支援に依存しないで、自分の街を震災以前よりもヴァージョンアップするという活動に期待している。
僕は僕の為にやったから別にいいんだけど、泥まみれの僕らの横、20代の地元の若者が嬌声をあげて遊び歩いているのを見ると、なんか変だなと感じたんだ。
たまたまそういう連中にあっただけかもしれないけど。
でもそれも一つのリアルなんだ。
街を救う為には街に生きる人達の気合いがモノを言うと思う。
地元の青年達が躍起になって動き回らなければ、本当の意味での復興なんて100年後の話だ。
若者達は今を悔いのないように生きてほしい。
大げさではなく街を変える革命を起こせるタイミングに生きているということを自覚してほしい。
「絆」や「ガンバレ」だけじゃなにも変わらないことを一番知っているのは、感受性がまだ生きている若者達だけなんだから。
震災から2年、そろそろ東北からヤバいプロジェクトが聞えてきてもいい頃だ。