台湾人写真家のYu-Hong Kuoはハイティーンの少女を中心に作品を撮り続けています。
情緒はいつも不安定で、嘘偽りに対しての極端に潔癖で、大人に対しての憧れを持っていると同時に大人になんてクソクラエ!と矛盾する心。
異性に興味はあるけれど、その実態はまるでわからない16歳。
あるいは童貞や処女を捨てて、異性のことを知ったつもりが妙な虚無感に襲われる17歳。
未来という暴力的なまでに巨大な壁、将来という途方もなく向こうにある世界の前に立ち尽くす18歳。
「常識とは単に、18歳より前に人の心に積み上げられた先入観の堆積物に過ぎない」
これはアルベルト・アインシュタインの言葉です。
常識とは社会に属する人間が当たり前のものとしている価値観、知識、判断基準のことです。
私達の価値観は18歳までに形成されるのであれば、スーツを着ていても、オシャレに着飾っていても、性根は情緒不安定で恥ずかしがり屋で矛盾しているハイティーンのままなのです。
つまり、Yu-Hong Kuoの作品が放つ眩しい美しさは、私達の心の奥底でも今なお輝き続けているのです。
大人という着ぐるみの中でかつてのあなたが、落ち着きなくあっち見たりこっち見たり、好奇心が身体中から漏れまくって、ソワソワしながら目を光らせていることでしょう。
その光こそ、前人未踏の明日という真っ暗な道を照らすサーチライトなのかもしれません。
https://www.flickr.com/photos/120688567@N03/
ちなみに哲学者の三木清によれば、常識の上のレベルとして「良識」があるとされています。
彼によれば常識人が常識が誤りのないのものとして主張し、常識を盾にして非常識を断罪するのに対し、常識に疑問を持てる知恵が良識だとしています。