五反田の日高屋にいた。
W餃子定食を頼んで周囲を見渡した。
「神様、あなたは人類の願いを叶えました。
人類はスマホがあれば永遠に幸せになれたのです。
だけど、僕やそこで天井を眺めているOLさんはスマホでは幸せになれないタイプなので僕達にも何か楽しいことをください。
ついでにOLさんには暴力をふるわない彼氏をあてがってあげてください。」
暇つぶしに神頼みしていると、突然、横から薄紫色のモンクレーのダウンをイスにかけた30代後半くらいの男が、「ハイボール290円かよ!原価20円くらいか!?」と原価20円くらいの女に向かって大声で言った。
カマキリみたいな顔をした女はギャギャギャギャと笑いながら餃子を食べていた。
男に媚びるように上目使いでムシャムシャと餃子を食べているので、本当にカマキリそっくりだった。
男はカマキリの反応に手ごたえを感じたのか、「絶対原価20円だよ!」とかぶせてきた。
女はスマホの画面に夢中になっていてそれどころではなかったので、男の渾身のかぶせは不発に終わった。
男はテーブルから自分のスマホをシュッと取り上げ画面を覗きこんだ。
自分もスマホを見ないと負けたような気がするので、急いでツイッター画面を開き、「日高屋、ハイボール290円!原価20円くらいだろ(笑)」とツイートしたに違いない。
ついでにモンクレーの自慢をツイートしてくれたら、僕は心から満足できる。
そうこうしているとW餃子定食が目の前に置かれた。
神様ありがとう。
あなたのことはよく知らないけど、いつも退屈しないのはあなたのおかげのような気がするよ。
昔、友達が「死んだら神様にビールを奢ってやるんだ。」って言ったけど、本当に僕も同感だよ。
神様、ついでにあそこのOLさんに何か嬉しいことやそんな類のことを起こして欲しい。
きっと彼女はananや梨花やパンケーキやフェイスブックじゃ幸せになれないタイプなんだ。
それはそうと日高屋の餃子ってマジで美味しいよね。
2011年3月11日。
新宿4丁目交番近くにあるビルの5階にいた。
照明を消した部屋の一番奥の壁にはプロジェクターでグラフと数字が映し出されていた。
その画像を見ながらそれぞれの意見が飛び交い始めた午後2時過ぎ、揺れた。
三脚で立っていたスピーカーは倒れ、壁にかかっていたプロジェクターのスクリーンは左右に波を打った。
そんな中、司会を務めていた40歳前後の男性は「・・・この場合の成功例は極めて少なく、まずは先ほど挙げた点について慎重に分析すると同時に」と大きな揺れの中で話を再開した。
隣に座っていた50代前半くらいのチェック柄のスーツを着たおじさんが「おうコラ!やめだ、やめだ!非難させんか!」と立ち上がった。
司会者はうろたえたままキョロキョロし、卑屈な笑顔をこちらに見せたと同時に僕はバッグに荷物をしまって階段を駆け下りた。
階段を下りながら上から「ブザーなってるだろうが!降りんか!」とチェックスーツのおじさんの怒鳴り声が聞こえた。
外に出ると、歩道にたくさんの人が立ち止まっていた。
誰かが「地下鉄が止まっている」と言ったのが聞こえて、会社がある半蔵門に向かって走った。
歩道は落ちそうな看板の真下で写真を撮っているサラリーマンや、スマホを覗きこんで立ち止まる若者がゾンビのようにウロついていたので、車道に出て車の隙間をかい潜りながら走った。
途中で警官に「歩道に戻りなさい!」と怒られたので大声で謝り、そのまま車道を走った。
会社に着くと誰もいないので、皇居の方に避難したと思いカバンを置いて、スニーカーに履き替えてもう一度外に出た。
外に出て、九段下方面に行ったのか、それとも大手町方面に行ったのかと交差点で信号待ちしていると、おばさんと20歳くらいの女の子が近づいてきた。
二人は大きなキャリーバッグを転がし、片手に地図を持ちながら言った。
「このあたりは安全でしょうか?」
僕はそれに関して全くわからなかったので、近くの警察署と2人が予約したホテルまでのルートを説明した。
皇居のあたりをしばらく歩いていても、どこにもみんなが見当たらないので会社に戻ると、みんなは倒れたロッカーやパソコンを元に戻しているところだった。
J-WAVEから「ほとんどの公共交通機関が止まっている」「余震に気を付けてください」と流れてきたので、早々にそれぞれが家路についた。
車で普段は通らない脇道を右に左に走っていると、とんでもない渋滞を運良く回避することができた。
自転車で帰っていた剛君と赤羽橋の交差点で合流した。
電車が止まってしまって帰れない友達の何人かがうちに来て、テレビで放送され続けている津波の映像をずっと見ていた。
ベランダから外を見ると、川崎方面に歩いて帰る人達が街灯が消えた道を歩いていた。
たくさんの人の影が歩道いっぱいに黒く揺れていた。
僕は、きっと震災のことも忘れてしまうと思う。
忘れて、慣れて、飽きるだろう。
それでも、ベランダから黒く揺れる影を見た時に感じた、吐いてしまいそうに胸が締め付けられたあの感覚は今でも体のどこかに残っている。
その感覚の正体を暴こうとすると、なぜか妙に後ろめたくなり、好きな人のそばにいて、触れたくなるけど、その理由はわからない。
当然のように明日があると考えられる大人になろうにも、その感覚のせいで僕の青春時代が終わらないのだ。