ヨシノリの頼み

京王多摩川駅にある植物園の中、僕は赤茶色に染まった中指を晴天の空に向かって突き上げた。

僕の足下には真っ白のスーツを着たヨシノリがうずくまり、尻をさすっている。

 

まずはヨシノリについて話すべき時だろう。

ヨシノリと僕の出会いは、イノセント&ヴァイオレンスで取り扱い注意の19歳の頃だ。

仏子というカルト臭がする名前の街に住むヨシノリは、19歳の当時、怪我もしていないのに松葉杖をついたり、包帯を巻いたり、眼帯をして大学に来ていた。

「好きな女の子が怪我してる人が好きだって言ってたから」

初対面で包帯のわけを尋ねたら、そう答えた。

目に入る人間の97%に腹が立っていた当時の僕は、辻仁成が中山美穂に対する口説き文句「やっと会えたね」を、10年以上早くヨシノリに言った。

ステディーな奴にやっと逢えたのだ。

そんなステディーなヨシノリとすぐに仲良くなり、一緒になって調子に乗っているチャラ男の頭に二階からミカンを投げたり、チンパンジーが厚化粧したようなツラした大声で下品に手を叩いて笑うブスにマスタードをかけたりして遊んでいた。

 

僕達が20歳になる暑い夏の日、学食で恋愛論を語っている北関東のキャバ嬢みたいな女子に向かって派手に放屁して笑った後、ヨシノリは真面目な顔で言った。

「インドが俺を呼んでいるんだ」

インドが何かの比喩だと思い、大急ぎで頭を回転させたけど、インドはインドでしかなかった。

「インドって、象の?」

ヨシノリは頷き、夕焼けに照らされた横顔をうつむかせ、話し始めた。

 

ヨシノリの兄は変わり者だった。

カメハメ波を本気で出そうとして手首の骨を折ったり、モグラを追いかけて公園の地面に深さ3メートルの穴を作ったり、子どもを笑わそうとして変顔してたら鬱血して倒れたり。

そんなヨシノリ兄は18歳になった時に「コンドーム風船でカルフォルニアに行く」と行って家を出たっきり、もう5年も音信不通になっていた。

ヨシノリはそんな兄のことが大好きだった。

「先週これが届いたんだ」とヨシノリは僕の前に一通の手紙を差し出した。

僕は手紙をひろげ、筆ペンで書かれた文字を読み始めた。

 

「ビッチ、元気にやってるか?

俺はL喰って最低な気分だ。

死にたくなったからお前に手紙を書いている。

俺は今インドで暮らしている。

インドに辿り着くまで色々あったよ。

まずコンドーム風船でカルフォルニアに行くのが無理ってわかるまで2年かかった。

不可能なこともあるってことを理解するのに、ちと時間が必要だったんだ。

その間にバイトしていた大宮のカレー屋で知り合ったハムドってチビとダチになって旅に出ることにした。

普通に飛行機でだ。

アムスでハイになっていた時、どうしてもお前の声が聞きたくなって、何回も電話かけたんだけど、何度かけても昔の女に繋がっちゃってさ。

なんでだろうな。

家の電話番号がどうしても思い出せないんだ。

それから大分時間がかかったけど、今こうやって手紙を書いている。

俺は今、インドでターバン野郎相手に日本の中古車を売ってるんだ。

はっきし言って儲かってる。

ジャパニーズファッキンハスラーって言われているんだ。

だからお前もこっち来い。

待ってるぞ。」

 

手紙の後ろには住所と電話番号が書かれていた。

ヨシノリは手紙をバックにしまって席を立った。

「もうちょっとしたらインドに行ってみようと思って」

その日から二度とヨシノリは大学に顔を出すことはなかった。

 

社会に出てからも、仲間達が集まればヨシノリの話になった。

「グリーンベレーの一次審査に落ちたらしい」

「北関東で金脈を探しているらしい」

「ニューヨークのタイムズスクエアでゴミ箱をあさっていたらしい」

「街宣車に乗っているのを見かけた」

「予備校の先生やっていたけど、クビになったらしい」

「マジシャンの付き人をやってるらしい」

「ウォーキングデッドのゾンビで似ている奴を見かけた」

「死んだらしい」

時間が経つにつれ、それぞれの事情や都合ですれ違うようになって仲間達で集まることも少なくなった。

そしてヨシノリのことを忘れかけていた。

 

東京に記録的寒波が襲っていたある朝に携帯が鳴った。

登録されていない電話番号なので何事かと電話に出た。

「よぉ金玉、今でもビンビンか?」

その声はヨシノリだった。

僕は気まずさと気恥ずかしさを胸に抱きながら、なるべく明るく努めた。

「久しぶりだな。どうしたんだよ?」

「色々話したいことがあって、突然だけど今日会えないか?」

僕は丁重に断った。

僕はもうブスにマスタードを投げつける年齢ではないのだ。

「今日じゃなきゃダメなんだ。頼むよビッチ。」

僕はバレないようにため息を付き、ヨシノリは早口に待ち合わせの場所を決めてきた。

これはきっと最初で最後の再会なのだからと諦めた。

 

待ち合わせの場所は帝国ホテルのオールドインペリアルバーだった。

髪をベッタリと七三に分け、片手に葉巻を持ち、上下真っ赤のスーツを着たヨシノリが立ち上がって「ここだクソッタレ!」と僕を大声で呼んだ。

「早く来い!金玉撃たれたインパラかお前は!」

すでに帰りたくなっていたけど、ヨシノリは笑顔で手招きしていた。

近づいてよく見てみると、ヨシノリは前歯にダイヤを埋め込み、両耳にカメムシの死骸のピアスが揺れていた。

一体どんな人生を歩んだらこんな風貌になるのか、僕の想像の枠を遥かに超えていたので、ただ引きつった表情で笑うしかなかった。

イスに腰をかけると同時にヨシノリは僕の両膝をつかみ、顔をヌイっと近づけてきた。

「時間がなくて早速で悪いんだけど来週の土曜日に、ちと頼みがあるんだ」

悪い予感しかしないので、僕はすぐに断る文句を考え始めた。

「来週の土曜日に俺、結婚するんだけどお前に重要なことを頼みたいんだ。

こんなこと頼めるのはお前しかいないんだよ」

ヨシノリは早口で僕への「頼み」を話し始めた。

悪い予感は見事に的中した。

そんなことは絶対にできない。

ヨシノリは僕の足元で土下座でしながら「頼む!頼むよ!」と地面に向かって叫んでいる。

絶対に引き受けたくないし、かといってこのまま帝国ホテルのバーで土下座させておくわけにもいかない。

周りのブルジョア達も怪訝そうな顔でこちらを見ている。

店員と僕が立ち上がらせようと促すが、ヨシノリは全く聞かない。

このままだと警備員が来ることだろう。

考え得る限りギリギリの妥協案をヨシノリに告げると、ヨシノリは立ち上がりググッとハグしてきた。

「あんがとな!ポンキであんがとな!このオカマ野郎!」

なぜかヨシノリの体からペットショップの匂いがした。

 

話は最初に戻る。

京王多摩川駅にある植物園の中で、ヨシノリの結婚式は晴天のもと盛大に行われた。

かつての仲間達もみんな来ていた。

綿棒、ソナチネ、血尿、コラーゲン、そしてパラダイスもいた。

みんな全然変わっていなかった。

さらにまわりを見渡すと昔からの知り合いが何人もいた。

スカーフェイス、炭鉱の息子、井戸、ソフトオンデマンド、濡れ煎餅も、みんなあの時のままの笑顔だった。

僕はみんなとの再会に笑いながらも、ヨシノリからの頼みのせいで喜びに浸ることはできなかった。

お調子者の沼天狗がお馴染みの「選挙演説をするヤンキー」というギャグを10年ぶりに披露しようとした時、ぶっといビートが流れてきた。

ヨシノリが大好きな曲、Jay-Zと Notorious BIGの合作「Brooklyns Finest」だった。

Jigga,,,,Bigga,,,,

丘の上からハマーの真っ白のリムジンがこちらに向かってくる。

Brooklyn, going out for all!

リムジンが僕達の傍に停車し、運転手が後部座席のドアを開けると真っ白のスーツを着たヨシノリが降りてきた。

右拳を肩上に上げると、スピーカーから流れていたビギーのラップが消えた。

ヨシノリは深く息を吸い込むんだ。

「タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!ダイバー!バイバー!ジャージャー!ヨシノリインダビルディングヨー!」

ヨシノリは一気に大声で叫ぶと目を見開き、ヨシノリ結婚式参加者の顔を見渡した。

みんなは突然の展開にどうしてよいかわからず、とりあえず拍手をした。

ヨシノリは僕を見つけると手招きした。

いよいよだ。

ヨシノリの計画、祈り、あるいは冒険が決行される時だ。

 

 

話の続きを書いていいか、一度ヨシノリに確認してみることにする。

ヨシノリの僕への頼みはあまりにも個人的で誠実で切実なものだからだ。

ヨシノリが「いいよ」って言ったら、いつかまた。

 

 

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ハヤブサマガジン 2005年10月活動開始。 フリーマガジン「ハヤブサマガジン」を日本全国のフットサルコート、スポーツバーなどに配布。 vol.7をもって活動停止。2013年、ウェブマガジンとして活動再開。ブログは日常の話です。