青い空に囲まれて、高台から自転車で一気に坂を下ると、ぬるいプールの中を泳いでいるような感覚になる。
真っ白なワンピースを着た女性と目があって、誰かと似ているような気がして少し緊張した。
それが誰だったかはもう思い出せない。
海までは少し遠いのに、潮の香りがする。
胸が高鳴り、膨張して、はじけはしないから苦しくなる。
近所の短大生は森の奥深くにいる派手な野鳥のような恰好でお尻を揺らしながら笑い合っている。
最高だ。
イヤフォンからはThe strokesの「Someday」が流れる。
「時々3つ数える間に恐怖が押し寄せてくるんだ 時が俺の友を奪っていく でも君は最高の言葉をかけてくれるんだって気づいたんだ」
小説や映画の世界では、学生時代にかけがいのない濃密な時間を共に過ごした友人達は、いつか大人になって離れ離れになってしまうことが多い。
あるいは大人になって再会しても、少し寂しい気持ちになって、また離れてしまうことが多い。
しかし、大人になってしまったと気が付いた時にあたりを見回してみたら、そんなつまらないことにはなっていなかった。
ただきちんと線に沿ることができなかっただけかもしれないけど。
寂しい別れや互いを傷つけるような馬鹿な真似、思い出したくもない経験ももちろんたくさんあるけれど、それでも昔からの友達と今でも会ってワクワクしながら遊んでいることはとても幸福なことだ。
複雑なことや難解なことを良しとし、腹の探り合いや見栄の張り合いをした季節もあった。
不安だから他人と自分を比較したことも、正直に話せばなかったとは言えない。
けれど今は、目が合って笑い合って、同じ時間を過ごせるだけで心底ハッピーだ。
それだけで十分。
言葉にすると嘘くさいけど、笑い合えたら本当にそれで十分幸せなんだ。
僕にとって価値観や美意識、人生観や死生観、原動力やエネルギーは全て大学生のあの時代がベースになっている。
弟の大学進学について話していて、大学で過ごした時間について話した。
その話に登場してくるみんなと今でも遊んでるんだって、結局自慢話になってしまった。
弟にもそういう仲間ができたらいいなって思う。
18歳に出会った阿部ちゃんの結婚パーティーで2014年の夏が始まると思うと胸がいっぱいだ。
昔馴染みがみんな集まるんだ。
小沢健二の「大人になれば」みたいに、大人になれたらいいなっていつも思う。
「群青色に 暮れかけた夕暮れに
美しい形 美しい響き 何だか心が 哀しくなるね
誰かの愛を知ったら 分かるようになったブルース
部屋片付けたら さあちょっとだけ踊ろう! 夢で見たよな 大人って感じ?」