女性に敬語を使われるほど気恥ずかしいものはない。
もちろん仕事や客としてであればお互いに敬語で話すは当然だけど、遊びの時はどうも苦手だ。
女性に敬語で話されて良い気分になっている田舎者になったような気になってしまう。
友達の彼女や女友達の知り合いなどから明らかに気を使って「へぇ~すごいですね」などと言われた日には今すぐに電車に乗って帰りたくなる。
褒められたら鼻を膨らませて喜ぶ男も実際にいるだろうが、僕には勘弁してほしい。
評価なんかしなくていい、僕が何者かなんてもうどうでもいい、存在を笑ってもらえばそれでいい。
年下でも女性は2言、3言くらい話したらもうタメ口で話してもらいたい。
タメ口じゃないと女性とは心を通わせられないと思う。
ただ女性に面と向かって「タメ口で話そうよ」ともなかなか言えない。
まるでそれじゃ背伸びして大人ぶっているくせに、酒入れたカプセル入れないと女とセックスできない有名大学のサークルの先輩みたいだ。
自然と女性がタメ口になってくれるには、やはり僕なりのピエロっぷりを存分に発揮しなくてはいけなくなる。
でもそうなるとただの口が悪いキチガイだと思われて、タメ口以前に二度と会わなくなってしまう。
そういうことは今まで多々あった。
なかなか会えずに携帯だけで近況を報告し合う年下の女性達はみんな僕に敬語だ。
僕は彼女達の文章を読みながら「敬語だな」とちょっとため息をつく。
物理的距離以上に遠い距離を感じる。
親しくない男のタメ口はナメてんのかコラとなるが、女性のタメ口は親しみや温かさがある。
方言女子が注目されているのもそういう背景があるのではないだろうか。
昔はSNSなんてなくて、人が心底で何を感じて何を願っているのかなんてわからなかった。
なんでそんな平気な顔してこの退屈極まりない日々を生きていけるのか、本当に不思議だった。
ところがSNSという言葉のゴミ捨て場が普及した今、そこにあるのは罵詈雑言にまみれた怒りと憎しみが山のように積みあがっていることを知る。
僕はわかっていなかった。
みんな僕よりもとっくの昔から怒りに狂っていたのだ。
ここまで人々の怒りを目の当たりにすると、「いや、僕はそこまでは怒ってないな」と自分の怒りや腹立つパワーなど、大したものではないなと思ってしまう。
みんながここまで怒ってるなら、わざわざ自分も一緒になって怒ることもない。
道行くイラついて人にぶつかって歩く人も、神経質に店でクレームをつけている女性も僕よりも根深い怒りをきっと抱えているのだ。
ライブハウスやフェスの喫煙所でガンたれてくるガキも僕よりも何かに怒っているのだ。
思えばどこかしらで難癖つけてきた人達は僕よりも怒っていたのだろう。
今だったら0.5秒で謝ってダッシュで逃げる。
僕はみんなほど何かに怒っていないし、他人に対して声を大にして言いたい事も、もうない。
andymoriが解散して僕の中のセンチメントと焦燥感はどこかに雲隠れした。
15年間乗り続けた愛車グランビアをとうとう廃車することになった。
多くの人がそうであるように運転中には様々なことを考えてきた。
今に至るまでのアイデアや想いを全部乗せて走ってくれたのがグランビアだ。
思えば遠くまで行った。
総走行距離15万km。
15万kmも一緒に走り旅したのだから、やはり胸に込み上げてくるものがある。
震災の時に仲間達と東北を何往復もした旅が一番の想い出だ。
8人のエネルギーを乗せて真っ暗闇の常磐道をライトで照らし、ひた走った。
まるで誰かが待ってくれる地に向かうバンドになった気持ちだった。
たくさん色んな話をしてたくさんの音楽を聴いた。
打ち明け話や秘密の話、みんなで大声で歌ったパンクソングや、みんなで首を振ったぶっといビートのヒップホップ。
職質や検問にもよく合った。
グランビアとの日々は青春そのものだったとしか言えない。
モノに依存するのはダサいと思うが、僕にとってグランビアはモノ以上の存在だった。
誰かとケンカした夜も恋人を迎えに行く朝も君と一緒だった。
さよなら僕のバンドワゴン。
僕の夢や希望のかけらを運転席にいくつか残してゆくよ。
また会おう僕のバンドワゴン。
君は僕の友達だ。