金玉を使ってEDMを奏でたらお腹痛くなってきた

ロボコップ、元ヤン、四谷、慶応、阿部(温和ver)、G、僕の7名で新潟に日帰りで滑りに行った。

ゲレンデには可愛い女性2人組が多い。

だいたいそういう女性は肩まで髪の毛がかかっていて、少しパーマネントがかかっている。

昔は茶髪が多かったけれど、今はやや黒髪が多い。

そして今の女性達はスノーボードがとても上手だ。

圧雪されたところをきちんと基本どおりに滑るのであれば、僕よりも断然上手い女性はよく見かける。

なんだって好きだけど、足が速いとか、重いモノを持ち上げられるとか、根気があるとか、運動に関してスキルがあったり努力する女性も好きだ。

僕よりも腕相撲が強い人がいたら好きになってしまうかもしれない。

僕は男の仲間内で腕相撲が30人中24位くらいだと思うので、そういう女性はたくさんいるはずだ。

華奢であったり、ドジっ子や運動音痴の方が男性ってグッとくるんでしょ?と女性が以前見当違いなことを聞いてきたことがある。

本当の答えを言うと「可愛いければなんでもいい」が正直なところではないだろうか。

可愛いと面白いは正義だ。

運動も料理が上手もオシャレもただのオプションであって、よっぽどのイカつい電波でない限り、性格なんて粘土のように形を変えることができるのでそれも後付けだ。

そういえば元ヤンことヨウキさんがバックカントリーで結構深い穴に落ちてマジで九死に一生得たレベルでピンチだったらしいんだけど、僕はその時、慶応と四谷の3人で雪合戦に勤しんでいた。

本当に無事で良かった。

 

ところで6年ぶりに禁煙している。

例によってチャンピックスというダウナー系ドラッグを服用し、禁煙において一番ダルい時期をやり過ごすという最も楽してやろうという魂胆だ。

前回は壁に頭を打ち付けたりちょっとマズいことになったけれど、今のところ前回よりかはいくらかマシだ。

とは言え毎晩悪夢を見る。

僕の欠けている方の前歯がもっと欠けたり、家族がカルト宗教を妄信してしまったり、得体の知れない毛むくじゃらで一つ目の化物の追いかけられたり(そいつを見るのは初めてでない)。

そして夜中に必ず目を覚まし、「なぜみんな等しく少年マンガを読んできたのに、敵キャラのザコのような生き方をするヤツが現れるのだろうか。みんな等しく主人公に憧れたスタートは一緒のはずなのに」などと取るに足らないどうでもいいことを繰り返し考えて朝が近づいた頃にやっと眠ることができる毎日だ。

そして顔の表情がおかしくなった気がする。

うまく笑えないし、腹が立てば立つほど無表情になる。

「なんか変な顔にならない?」と友達に尋ねたら「安心して。前からだから」だって。

禁煙中でも世界は正常に動いている。

異常なしだ。

 

弟も再来月にはついに20歳になるにもかからわず、弟に対してイラっとすることが多い。
ムカつくまではいかない、なんかイラっとするというやつだ。

例えば送られてくる自撮り写真が90%の確率でひょっとこみたいに口が曲がっている。

ひょっとこも変顔に入るので、極反変顔派の僕としてはイラっとする。

Fineの表紙みたく舌なんか出した日には僕の説教は1時間じゃ済まない。

幕末の男のようにドンッと見据えればいいだけだ。

幕末の男に関してよく知らないけど。

シンプルに少し口角を上げた笑顔でいいのに、なんでいらない効果をつけるのかとそのセンスに少しイラっとする。

 

写真に関して他にもまだまだある。

送られてくる風景写真のほとんどの構図がなんかダサいのだ。

画角もズレてるし、どこにフォーカスした写真だかさっぱりわからない。

携帯を取り出し、写真アプリを起動した瞬間にシャッターボタンを押したような写真だ。
人物写真ならまだしもずっと待ってくれる風景でなんでそんな粗悪な撮り方をするのかと頭を抱えてしまう。

SNS世代とは思えない。

 

SNSと言えば弟のフェイスブックにもイラっとする。

ドッキリ動画とか面白動画のシェアはまだ良いとして、面白動画と面白動画の間にちょっといいメッセージ系の投稿をするのだ。

例えば「君が笑えば世界が笑う」とか「恋人との愛は終わるけど、ママとの愛は終わらない」みたいな留学しているヤツが好きそうな意識高い投稿をコピペするのだ。

普段遊んでるタイ人との話や同級生との写真とかいっぱい面白コンテンツがあるのに、フェイスブックは面白動画となんか良い感じのメッセージの繰り返しという謎の利用をしているのだ。

イラっとする。

 

他にもある。

ある時フェイスブックに「オーストラリアは退屈だからフィリピンに帰りたい」とナメたことを書いていた。

てめぇはいつかフィリピン人になったんだコラとLINEで長々と説教したら、それからしばらく音信不通になってしまった。

顔を合わせていないことをいいことに、怒られるとすぐに姿を消してしまうのだ。

ねずみ年だから危機を感じるとすぐに消えるのだ。

そういう時は友人のマサキに連絡して「いつも悪いね。また頼むよ」とマサキから弟に連絡をとってもらう。

イラっとすることにマサキがLINEを送ると既読になるのだ。

マサキから連絡がきたってことは僕の手が回ってるってことなのに、浅はかにも既読にしてしまうのだ。

ねずみ年とは思えない浅はかさだ。

そんなこんなでやっと連絡が取れ「なんで無視したんだ?」と聞くと、平気なテンションで「wi-fiがおかしくなってたっぽい」とか言うのだ。

連絡が取れない間にフェイスブックで面白動画をシェアしていたのにも関わらず。

元気で楽しくやって、人様に迷惑をかけないで逮捕されなけばなんだっていいんだけど、19歳というパッパラパーな年頃の男子とコミニュケーションを図るのには本当に骨が折れる。

 

思えば今まで付き合ってきた女性や好きな女友達が誰一人としてSNSを活用していない。

アカウントを持っているが誰一人として活用していないのだ。

僕は昔付き合っていた女の子全員にフラれてきているので、SNSを覗き見する権利があると勝手に主張している。

これが逆にフッた形であればそんな権利はない。

むしろ女をフるようなヤツはSNSをやる権利すらない。

男なんて生ゴミなんだからフラれようが傷つきようが蹴られようが水をひっかけられようがどうでもいいし、そんなことでガタガタ言うべきではない。

父からも「女を絶対にフるなよ。上手にフられろよ。女をフると呪われるぞ」とキツく注意を受けてきた。

「じゃあ好きじゃない人に告白されたらどうすればいいのか」という質問に対しては、「うるせぇ黙れ」と答えておこう。

大人はいちいちガキの質問には答えないのだ。

 

話は戻って僕が熱心にSNS探偵をしてみても、誰一人としてSNSを活用していない。

少し残念だけど、さすが僕が好きになった人達だぜと胸を撫で下ろしているにも事実だ。
正直言って、女性のSNSにはイラつくことが多い。

女性愛に溢れる僕でさえイラついているのだから、常人は殺意を覚えているかもしれない。

「やっぱり朝はスムージーだよね!」

「陣痛がキツいよー!誰が励ましてー!」

「ここのパンケーキ食べないとダメな体になってきたみたい」

「また友達に救われたよー。エーン、いつもありがとう」

「あと3日でハワイか・・・」

キャーど!う!で!も!いい!!

もちろん個人の自由だから何を書こうがその人の勝手だし、僕がどう思うがそれこそどうでもいいのだけど、SNSの歴史もまあまあ経った今、安い魂胆丸見えの投稿はマイナスにしかならないと僕は思っちゃう。

確かに僕がナナメに見過ぎかもしれないけど、実際のとこ周りの女の子も本当にいいね!なんて思ってるわけないじゃんって思うんだけど、どうなのだろうか。

でも、逆にいいね欲しさの自虐投稿もこれまたイラっとするのだけど。

 

インスタグラムのハッシュタグも腹立つ。

あれは本来はサーチキーワードとして任意の言葉を登録し、共通の話題や趣味についての投稿を探すという機能だけど、

#ここのパンケーキ食べないとダメな体になってきたみたい
#二日酔いきついけどお出かけ
#夢に近づいてきたみたい
#頑張った私を誰か褒めて
#ピヨたん(友人の名前)は今日も可愛い
#朝食はスムージーじゃないとダメな体

などと文章にしている。

文章にすると直接的だけど、#を利用しているから独り言みたいなもんだから、別にガチの言葉じゃないよという魂胆だ。

さらに、この#を文章に利用するという一連のジョークはコメディアンの渡辺直美さん発祥とされているので、それを堂々とパクっているということになる。

浅はかだ。

完全に偏見だけど、子どもを虐待死させる母親のSNSは大体こんな感じだろう。

愛されたい、認められたいという気持ちが強すぎて盲目になって、何が大切なことかわからなくなってしまってるか、ただの馬鹿のどちらかだ。

私綺麗?私綺麗?と鏡に向かって問い続けるような愚かさだ。

 

しかし、こんな僕の意見に対して僕から反論がある。

僕の意見に対して僕からだ。

暇だろ?

 

ある友人が仕事でシクったらしく「あ~あ、マジクソだな」と舌打ちしていた帰り道、僕がツイッターで投稿した「金玉を使ってEDMを奏でたらお腹痛くなってきた」という文を読んで、仕事の失敗のことをちょっと忘れることができたらしい。

僕はその話を聞いて、僕も友達の投稿で何回か元気になったことがあるなと思った。

きっとその投稿は他人からしたらどうでもよい他愛のないことだ。

結局、友達の投稿であればどんな些細でどんな普通のことでも、きっと何だって読んでいて楽しいのだ。

「今日はお腹の調子が悪くておかゆ食べています」でおかゆの写真がワンショットでも充分に楽しい。

#をいくら使ったところで気にならない。

なぜなら友達のことは全て興味があるし、大抵のことは許せるし面白いからだ。

結局のところ、SNSでムカつくかムカつかないかは関係次第ということなのだ。

「こいつ腹立つな」と思った投稿全てが友人から辿ってどんな人がいるんだろうとSNSをウロついた時に見つけたものだ。

「#ここのパンケーキ食べないとダメな体になってきたみたい」も僕からしたら20個くらいツッコミどころがあるが、その彼女の友人からしたら、別に腹立つ投稿でもなんでもなく、「〇〇ちゃんはパンケーキ食べないとダメな体になったんだな。いいね!」と思うくらいだろう。

そして僕はイラつく投稿する女性が悪いのではなく、それを読んでいる僕が悪かったという結論に達した。

SNSは親しい友達だけのを読んだ方が良い。

知人クラスになると人柄や歴史や文脈を理解していないのでもう危険だ。

 

でもこれだけは言いたいけど、最近特に増えてきた「定型ポジティブ文」には気を付けた方が良い。

この「定型ポジティブ文」は「信じていれば叶う」「充実した人生に感謝!」など、自分の人生がいかに順調に進んでいるか周りにアピールする類のやつだ。

実はこのような自己アピール法は「幸せになれる方法」などの自己啓発本に書かれている手法なのだ。

「ポジティブなマインドで人があなたの周りに集まる」と。

僕は自己啓発本を読んでいる人にとても興味があるので、その手の本に関しては詳しい。

大抵1冊3分くらいで何を言いたいかわかるインスタントな本なので立ち読みにも適している。

そんな本に書かれているような「定型ポジティブ文」を利用して、野心丸出しの人が打算でポジっても文字の向こう側からコンプレックスや思惑がにじみ出ているのだ。

景気が良い時に景気が良いと言う経営者はいない。

それは他人の嫉妬などのネガティブマインドはとても危険だと知っているからだ。

人が足を引っ張る時の握力の強さを知っている。

そしてどんな時も「貧乏ヒマ無しでどうにかこうにか頑張ってます(ニコリ)」という姿勢の方が、「儲かってますよ!(エッヘン)」という姿勢よりも100倍くらい得をすることも知っている。

調子の良さを悟られないのも大人のたしなみだ。

本当に怖い人はやたらめたら誰かを怒鳴らないし、怖い恰好もしないし、自分が怖い人間だということを決して悟られないように努めるのと同じだ。

 

つまり、フェイスブックなどで調子が良いとかガキが喜びそうなポジティブを頻繁に投稿している人はリアルじゃないし、アマチュアだと僕は思っている。

例えその人がスポーツカーを乗っていようが、豪邸に住んでいようがそういう人の言葉は鵜呑みにしない方が良い。

おそらくあなたの人生において何の役にも立たないはずだから。

 

ただ、金持ちの友人の「ブルガリの腕時計が重すぎて左腕痛ぇわ」とか「ヒマだしマンション買おうかな」などのジョークには超笑ったので、おそらくこれも関係次第って話だろう。

他人の話には懐疑的になり瞬間的にその裏を読み取ろうとしてしまうけど、友達の話って手放しで楽しいよね!で終わる話をこれだけ引っ張ることができる僕を唯一褒めてくれたおばあちゃんはもうすでに死んでしまった。

僕がインスタをやっていたらおばあちゃんの遺影写真に合わせて「#おばあちゃん死んじゃった」と投稿してしまうところだ。

なんか落ち込んできたらからちょっと自己啓発本買ってくる。

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ハヤブサマガジン 2005年10月活動開始。 フリーマガジン「ハヤブサマガジン」を日本全国のフットサルコート、スポーツバーなどに配布。 vol.7をもって活動停止。2013年、ウェブマガジンとして活動再開。ブログは日常の話です。